北スペインの旅-19- 平和への思い・ゲルニカ

バスク鉄道 ベルメオ行きの電車に乗り、約50分・・・
スペイン内戦で悲劇の舞台となった ゲルニカに向かっていま~す!


ゲルニカと言えば、ピカソの作品「ゲルニカ」。
スペイン内戦のさなかの1937年、フランコ率いる国民戦線と連携した
ナチス・ドイツのコンドル部隊に 人類史上初の無差別爆撃を受け、


そのニュースを知ったピカソが、戦争に対する怒りと悲惨さを描いたのが
「ゲルニカ」の絵なそうです。


そろそろゲルニカに到着。

ゲルニカの駅は、予想外にあったかい感じの 石造りの小さな駅舎です。

駅構内には、こんなレトロな水道がありました。

淡いパステルカラーの町並みは、
今は とっても穏やか~♫
ゆったりとした時間が流れています。

爆撃された市場跡・・・フェリアル庭園です。


1937年4月 26日・・・この場所で・・・
飛来したヒトラーのコンドル部隊の爆撃で、推定1645人の
市民が犠牲になったそうです。

駅から5分程のゲルニカ平和博物館まで来ました。
さっそく、中に入ってみます。

空襲当時の写真が たくさん展示されています。

爆撃で破壊された建物の瓦礫や 家具なども展示されていて、
空襲当時の様子を再現した ジオラマ仕掛けの部屋もありました。

この絵はゲルニカの絵をもじって、
「平和なゲルニカ」でしょうか。


ピカソもビックリですね。

平和博物館を出て、緩やかな坂道を登ります。

ゲルニカは空爆で破壊されましたが、
バスクの議事堂と 
議会の庭にあったオークの木は 奇跡的に残ったそうです。


町中には、そのオークの葉を型どった こんなポールがあちらこちらにありました。


何世紀もの間、オークの木の元で行われてた、伝統的なバスクの議会。
オークの木は自由の象徴だったそうです。


ここは、そのバスク議事堂。

議事堂の中の評議会場です。
議席の数は50席ぐらいで、こじんまりしていました。

バスクは19世紀まで、自治権があったそうですが、


その起源は 議事堂の
このオークの木 (これは3代目) の下で
独立の宣言をしたことによるのだそうです。

議事堂の天井には、美しいオークの木のステンドグラスが。
木の下で住民が 結束を誓い合っている様子が 描かれているのだそうです。


天井一面 スゴイ迫力です。
(逆さになってしまいましたが)

オークの木って 樫の木のことなそうです。


議事堂の庭園内には、その他にもオークの木があり、
こんなどんぐりが たくさん落ちていました。


議事堂の近くの小高い丘には、ピカソ「ゲルニカ」の
レプリカがありました。


これを描いた当時のピカソは、パリ万博の壁画を依頼されていて、
ゲルニカの悲劇を、わずか50日で 
怒りを込めて描き上げ、
万博のスペイン館に展示したそうです。

万博の後、この絵は、ニューヨークの近代美術館に預けられ、内戦に勝利した
フランコ政権による度々の返還要求にも、


ピカソは「スペインに自由が戻るまで、この絵を戻すことはない」と拒否し続け、
ピカソの死後、1981年、スペインに返還されたのだそうです。

実物大のモノトーンの絵からは、
やはり強烈な印象が伝わってきます。


ゲルニカは日本で言うと、広島や長崎のような街。


今、この町は、地元の人も の~んびり~
時間の流れもゆっくりしています。


爆撃で破壊されたこの町の画像と、
今のゲルニカの町の穏やかさ・・・・・


このギャップに 
平和への思いを 強く感じました。

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